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2018年11月4日日曜日

川口能活引退(´・ω・`)その選手生活を振り返ってみる(´・ω・`)

川口能活の現役引退が発表されましたね(ノД`)・゜・。

気づけば川口も43歳。

すでに引退をしていてもおかしくない年齢と言えばその通りなのですが、日本にはカズもいてなかなか引退するってのに鈍感になってしまっていると感じる今日この頃です(・ω・)


川口と言えば高校時代からスター選手であり、クラブでも代表でも活躍してきた選手。

そんな印象の方が多いと思うのですが、いざ振り返ってみるとその選手生活は波乱万丈だったなと。


静岡の名門清商のキャプテンとして3年生の時に選手権で優勝。

準決勝の鹿児島実業戦ではPKストップして勝利にしたのは自分の記憶にも残っています。


高校卒業後に所属したのは横浜マリノス。

当時世はJリーグ開幕2年目の1994年。

そのトップチームのマリノスには当時の代表GKであった松永成立がいて高校サッカーでスター選手であった川口も1年目は出場機会無しでした。

しかし、アトランタ五輪を目指すU23の代表に選出され、そこで守護神としての地位を確立していきます。

そしてクラブでは2年目に監督が代わるとシーズン序盤から川口が正GKに就任し、1stステージ制覇、年間チャンピオン、新人王と多くのタイトルを獲得しました。


川口の選手生活のハイライトの1つは1996年のアトランタ五輪でしょう。

マイアミの奇跡と呼ばれたブラジル戦での川口のシュートストップは奇跡の根幹を担ったものだと自分は思っています。

高校時代のPKストップもそうですが、川口の神懸ったプレーというのはその後も幾度となく日本代表を救うものでした。

中村俊輔曰く

「GKなのに試合を勝たせる力がある」

というのはそんな川口の神懸ったプレーから来るものでしょうね。

97年には日本代表の守護神へと定着し、日本初のW杯へと導いていきます。

初出場のフランスW杯では3戦全敗となった日本代表でしたが、川口の活躍は目を見張るものがありましたよね。


名実ともに日本最高峰のGKとなった川口は2001年にGKとしては初の欧州移籍を果たします。

移籍先はイングランド2部のポーツマス。

ちなみに移籍金は3億円。

これは当時のポーツマスの最高移籍金額だったそうです。

初年度こそ10試合ほど試合に出場を果たした川口でしたが2年目は1試合、3年目は出場0というものでした。

出場機会を求めた川口はデンマークのノアシェランへと移籍します。

しかしここでもレギュラーに定着する事が出来ませんでした。


海外移籍と時同じくして代表でも川口はポジションを失います。

2001年のコンフェデレーション杯では大活躍をし、ベストイレブンにも選出されたものの、移籍による実戦経験の不足などがたたり、2002年の日韓W杯では控えとなり出場出来ませんでした。

しかし2004年のアジア杯でポジションを奪還。

準々決勝のヨルダン戦でPK戦にもつれ込むと1-3で決められたら負けるという状況で2連続PKストップをするという神懸ったプレーを魅せて見事優勝に導いてくれました。

そして2006年のドイツW杯ではフル出場を果たしてここでも第2戦のクロアチア戦でPKストップ。

川口と言えばPKストップ。

ここ一番での川口の集中力って本当に凄いですよね…。


クラブの話に戻ると2005年にノアシェランからジュビロ磐田へと移籍しJリーグへ復帰します。

復帰翌年の2006年にはベストイレブンに選ばれるなど日本最高峰のGKとして活躍を続けますが、その後は年齢を重ねたためか負傷に悩まされる事も多くありました。

2009年には右脛骨骨折で全治6か月、2012年には右アキレス腱断裂で全治6か月と大きな負傷をしシーズンのほとんどを棒に振る事もありました。

しかし2010年にはナビスコカップ、翌2011年にはスルガ銀行チャンピオンシップ優勝と2つのタイトルを獲得しました。

この2つのタイトル獲得の際にも川口はPKストップをしています。

2010年のナビスコカップ決勝では槙野のPKをストップ。

2011年のスルガ銀行チャンピオンシップではPK戦で2本のシュートをストップ。

ここでもPKストップ…。

ほんと半端ないって川口…。


ドイツW杯以降も代表で守護神の地位を守っていた川口でしたが、南アフリカW杯の最終予選の途中で負傷などもあり代表から離脱していきます。

しかし本大会においては当時試合に出場出来ていなかった川口をチームキャプテンとしての役割を果たしてほしいと岡田監督から招集を受け、ベスト16進出へチームに貢献しました。


2013年、ジュビロがJ2降格が決まり、川口は戦力外通告されJ2のFC岐阜へと移籍をします。

初年度こそ守護神として活躍しましたが翌年に膝を故障し長期離脱。

契約満了となり翌年からはJ3のSC相模原へ。

そして今日、今シーズン限りでの引退を発表しました。


180センチというGKとしては小柄な体格で世界を相手にして戦い続けてきた川口。

その節目節目において人々の記憶に残るプレーをしてきた川口。

名実ともに日本を代表するGKそれが川口能活です。

日本のGKで川口以上のスター選手はこれまでもこれからも生まれないんじゃないかなと自分は思っています。

日本でのGKの地位を高めた選手と言っても過言ではないのではないでしょうか。

しかしこれほど持っている男のようで実はその裏でW杯で1勝も出来ていない事、海外で苦い経験をしてきた事、晩年は負傷に悩まされ続けてきた事、様々なカテゴリーでプレーしてきた事…。

これらの経験を基に新たなステージで更なる活躍してくれる事を期待しています。



川口には世界に通用する、W杯で勝利するGKを育成して欲しいんですよね、本当に…。

長い間本当にお疲れさまでした。

それでは(・ω・)ノ

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