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2015年12月24日木曜日

日本人サッカー選手「シンジ」といえば誰?

yahooニュースで出ていたこのニュース。
今、「シンジ」といえば香川と岡崎で間違いないかもしれないけれど、自分の世代で言えば間違いなく「小野伸二」ですよ。


サッカー雑誌などで目にする事がありましたが、選手権に出た事がなかったためプレーしてる所を見たのはJリーグデビューしてから。

初めて見た感想は上手い。ただただ上手いの一言でしたね。
トラップ上手いし、パス上手いし、なんじゃこいつは( ゚Д゚)と衝撃でした。
その後、日本代表に選ばれてW杯に出たり、アジアユース選手権やワールドユースで準優勝したり、即日本を代表する選手の仲間入りをしていったのは今更語るまでもありませんね。

小野伸二を語るうえで外せないのはやはりフェイエノールト時代。
当時のチームメイトにはカイトやV・ペルシー等、オランダ代表として活躍する選手や、デンマーク代表だったトマソン等もいました。監督は2010年W杯でオランダ代表の監督だったファン・マルワイク。そんなチームの中心選手が小野伸二でした。
そんなすごいメンツの中、キャプテンとしてUEFAカップを獲得する偉業を成し遂げた小野伸二。
こんな選手が今後出てくることがあるのかどうか…(´・ω・`)
ちなみに当時、オランダリーグで最高年俸を貰ったりしてたり、オランダ代表のスナイデルが対戦した中で最もタフな選手の1人と評したりというのも恐ろしい話です(;^ω^)

ちなみにそんなすごい小野伸二は他のリーグや強豪チームに行ったりという事をしなかったのか?という疑問ですが、実際色々と話はあったようですが移籍をする事はありませんでした。
アーセナルやバルセロナなど当時名前が出ていたチームに移籍していたら一体どうなっていたのか、想像するだけで楽しくなってきます。

ではなぜ小野伸二は移籍をしなかったのかというと、上記した通り、オランダリーグで最高年俸を貰っていた事もあり、移籍金や年俸面で問題があったという事もあるでしょうがやはり一番大きな問題はケガが多かったという事でしょうか?

小野伸二を語る上でよく出てくるのがシドニー五輪予選のフィリピン戦で負った左ひざの靱帯断裂です。このケガにより長期離脱をする事になり、シドニー五輪に出場することもなくなりました。更に、このケガの後慢性的にケガをするようになったため、このケガがなければと語り継がれる位にこのケガが後を引く逸話になっています。
ちなみに日韓W杯の時には虫垂炎になったりと代表選手に選ばれながらもある意味では持ってなかったのかなという印象もありますね。虫垂炎になったにも関わらず全試合に出場してるんですけどね…(´・ω・`)

その後はレッズやドイツのボーフム、エスパルス、オーストラリアのウェスタン・シドニーワンダラーズで活躍した後、現在はコンサドーレ札幌にて現役として活躍しています。
現在もケガで試合に出たりでなかったりを繰り返していますがそのテクニックは衰えることがありませんね。

ベルベット・パスと評される広い視野と繊細なテクニックから繰り出されるパスで少しでも長く自分たちサッカーファンを今後も楽しませてくれることを期待しています。

それでは(・ω・)ノ



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